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2021/05/24 14:13
「今日運動できなかったー・・・」
「お菓子食べ過ぎてしまったー・・・」
「やっば、こんな時間!大遅刻。冷や汗やばい・・・」
あなたは、やらなくちゃいけないことを、
ついつい「しなかった」
もしくは
やるべきじゃないことを、
ついつい「やってしまった」ことによる
罪悪感を頻繁に感じる方ですか?
この罪悪感。
罪悪感と恥。どちらの感情も
似ているとされていますが、
微妙な違いとして、
罪悪感は、した(またはしていない)ことなどに
対して、自分自身を否定的に感じること。
自分が間違ったことをした、
または自分が間違ったと感じたことに対して、
後悔したり、責任を感じたりする。
これは”行動への焦点”です。
何か間違ったことをした時や
間違ったことをしたと感じた時に、
感じる感覚です。
一方、恥というのは、
自分が悪い、価値のない、
能力がない、存在が間違いという
自分の存在自体がザコで価値がないという
自己否定感、自己肯定感の低下させる感情で、
これらは、”自己への焦点”であるということです。
例えば、ミスをした時、
罪悪感は「私は悪いことをした」と思い、
恥は「私は悪い」と思います。
恥は、より自己の内面に焦点が当たっていて
自尊心や、自己肯定感の低下など根深く、
恥が原動力となりポジティブに、
健康的に働くというのことは、
難しいとされていますが、
罪悪感というのは、二面性があり、
場合によっては、健康的に、
ポジティブに働くこともあるということです。
罪悪感は、私たちが何か
間違ったことをした時に、
私たちに知らせてくれるシグナルとして、
同じ過ちやミスを2回繰り返さないように、
行動や価値観を再検討するように
促してくれる機会となります。
健全な罪悪感は、健全な回復プロセスを
経ていることのしるしでもあるということ。
ただし、いつもこのように
ポジティブに働くとは言いきれず、
なぜなら、
罪悪感を感じる場面というのは、
自分の行動の失敗によって生じる感情であることも多く、
特に、自分のメンタルが落ち込んでいる時、
ストレスで敏感になっている時、
何かと人生がうまくいっていない時、
自信が喪失している時というのは、
自分の失敗によって生じる感情も、
もちろんネガティブな思考状態となり、
その為、達成の失敗が続いたり、
失敗によって、自分への否定性が大きくなり、
それが不健康な罪悪感として、
ネガティブな心理が徐々にエスカレートしていき、
自尊心の低下や自己肯定感の低下に
関わってくる。それにより、罪悪感もより重罪を
背負ったかのような、
不健康な感覚へと陥ってしまうという
スパイラルに入っていく。
思考が感情を生み出します。
そして、その感情によって、
その感情に沿って、
私たちは幾多ある選択肢の中から、
1つに選択を絞り、
決定し、行動します。
思考→感情→行動のサイクル。
始点が、否定的な思考から始まると
おのずと結果として、
行動も否定的になっていく。
過度な罪悪感への集中、
慢性的な罪悪感、不健康な罪悪感というのは、
恥の感情にも似たような、
恥と非常に密接になる可能性が
あることに注意する。
アラームが鳴ったにも関わらず
二度寝してしまい、起きた時には遅刻。
自分の子供に弁当を
作り忘れてしまったとする。
通常の罪悪感の反応は、
「あー・・・子供が空腹に
なって辛い状況なんじゃないかな。
かわいそうなことしちゃったなー。本当にごめんよ」と心配し、
「昨日は寝るのが遅くなってしまったもんな。
今日は絶対に早めに夕食を終えなきゃ」など。
でも、不健康な罪悪感になると、
「自分はなんてひどい毒親だ。
子育てする資格なんてないよね。これをきっかけに
何かのトラウマにでもなって大人に成長した場合、
全ては自分のせいだよね」
と事実ではないことを曲解する。
お弁当を作り忘れるのと、
毒親認定、子育て資格なしという
なんら客観的な証拠がない。
でもそのように自分を判断してしまう。
子供のトラウマになるなど将来の
コントロールの及ばないことについてまでも
自分を責め、間違ったことをしてしまったと
深く傷をつけ、自尊心を低下させてしまう。
他にも、自分の親や自分の子供、親友など
身近な人の死別を
「自分があの時、もっとこう言っていれば」
「あの時、もっとこうしておけば」と
自分を徹底的に責めてしまうのもそう。
不健康な罪悪感は、自分には価値がない、
自分への落胆、絶望的に感じるように導く
可能性があるということ。
そこで、
1)受け入れる
間違いを犯すのは自然なこと。
完璧な人間などいない。
それは、いつでも修正は可であるということ。
間違いを修正しようとする/しようと思うのが
最初のステップ。
そうすることで罪悪感を少しでも
軽減できる。
罪悪感を無視したり、拒否したり、
それを感じてはダメだと今の気持ち、
感情を奥へと追いやると、
それら罪悪感は長く残り続け、
後から何倍も大きく膨れあがり、
いずれは顕在化してきてしまう。
放置や無視ではなく、
不適切な行動を受け入れて認め、
修正を加えてから、先に進みます。
受け入れる。
・静かな時間確保する。
・罪悪感を生じた事をノートに書く。
思考の流れを把握する。
「ダイエットしているのにアイスを食べてしまった」
「子供へ大声を上げて怒鳴り、強くしかってしまった」
・感じた感情(罪悪感、欲求不満、後悔、怒りなど)に
心をオープンにして、感じことを書き留める。
・それらの感情を覗いてみる。
不必要に自分を責めるのではなく、
好奇心を持って探求する。
なぜ自分はやったのか、またはやらなかったのか。
罪悪感を感じている理由の理解を深めること。
自己受容し、そして
過去を手放すことに集中すること。
2)謝罪する
あなたの行動によってもしかして
他人を傷つけてしまったかもしれない。
心からのお詫び、謝罪は、
自分の回復や修正の速度も早めてくれる。
ただし、いくら謝罪しても、
許してもらえないこと、
また、たとえ謝罪し、許されたとしても、
生涯にわたって罪悪感を
感じ続けてしまう場合もある。
それでも、心からお詫びをするということで
自分の気持ちを認め、正直に表現し、
それは自分を癒すのに役立つから。
決して罪悪感に固執して自分を罰しない。
素直に過ちを謝罪し、
「自分に何かできないか」と
相手に訪ねるなど、
罪を感じさせた人と建設的な
会話をする機会にする。
3)自己を思いやる
間違いをすることは悪ではない。
罪悪感は厳しい自己批判を
引き起こす可能性があります。
自己非難ではなく、
自己への親切、思いやりにコミットする。
自己思いやり(セルフコンパッション)を実践する。
そのコツとして、
自分と同じような状況に自分の親友や愛する人が
陥ったと仮定してみる。
その友達にあなたはなんて
声をかけますか?
そう大事な友人へ、強みを思い出させ、
励まし、アドバイスを送るように。
他にも
自分へ宛てた手紙、日記を書いて、
過去の罪悪感の経験の受け入れ、
愛、思いやりを伝えてあげること。
他にも
「自分のことを、愛する子供を扱うように、
自分自身を扱うようにする」と自分に言い聞かせる。
自分の内面は可愛いくて仕方ない、笑顔もチャーミングな
赤ちゃんのような存在であると認識する。
そんな天使のような存在に対して、
罪悪感、自己嫌悪という感情でいっぱいにし、
罵倒し、痛めつけることはしないはず。
優しい言葉で「大丈夫だよ」と声をかけ、
尊厳を保ち、精一杯の愛と、温かい心、
慈悲深さで抱きしめてあげること。
自分の価値を思い出させる。
客観的な視点となり、
感情的な苦痛に左右されることから
回避でき、
自分の過ちがどれほどひどかったかという
部分ばかりへ焦点を当て、
思い出すのではなく、
心が乱れ、罪悪感を感じたことに同意し、
それに屈服して襲われることはなく、
次回はもっとうまくいくと
自分に言い聞かせてみる。
罪悪感は、自分の価値観や信念と、
自分がしてしまった、もしくは、やらなかった
行動との間にギャップが生まれた時に発生する。
その時、罪悪感は、
あなたへ何を告げているか。
注意を払う価値は大いににある。
罪悪感を解決するのに苦労しているなら
自分を許し、前進すること。
なぜならそれは使い方によっては、
新たに再考するシグナルとして機能し、
同じ過ちを繰り返さないよう
人生が変わるきっかけとなる
ツールとしても機能するのだから。
おあとがよろしいようで。
今日はここまで。
おしまい。