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2023/07/07 14:00





あなたは決断力があるほうですか?

「あ~どっちがいいかなぁ」
「あ~どれにしようかなぁ」

私達は日々、大なり小なり、
何らかのアクションをとる際、
数ある選択肢の中から「選択」しています。

時には、選択や決断するのに、
とても迷ってしまう場面に遭遇します。

”迷う”こと自体、
何も悪いことではなく、
人間として当たり前の感情なのですが、

この迷い、優柔不断レベルが
過剰になってしまい、

それが例え些細なことでさえも
決断することにおいて、

多大なエネルギーと時間を費やししまい、
不安や恐怖を伴うようになっているようなら、

もしくはそれで立ち往生してしまうことに
悩んでいるようなら

一度立ち止まって考えてみてもいいタイミングかも。

アボーロマニアという心理学用語あります。

これは”病的な優柔不断”、
”強迫的優柔不断””壊滅的な優柔不断”と訳されます。

由来はギリシャ語から来ていて、
a(なし)、boulo(意思、決断)
つまりは、意志力や決断力の欠如からきているよう。

もちろん人間だもの、
決断するのが怖い時ってありますよね。

年齢が若い頃はイケイケ、
オラオラでいけるものの、

年齢が上がっていくにつれて
意志力や決断力は低下していくと研究では
されていて、

それはこれまでの経験値、知見によって
あらゆるリスクを想定できるようになり、

どうしても決断が遅れ、
フットワークが重くなってしまいがちです。

それは仕方のないことですし、
何かを選択しなければならない時に、

迷い、不安、優柔不断になってしまうのは
至極真っ当で、正常なこと。

でも今日の内容は、
そういうレベルのものとは違い、

何事においても選択することにおいて、
度々襲い掛かる過度なストレス、
精神的苦痛を伴い、

ある種、病的に、極度に不安、恐怖、
憂鬱に駆られて膠着状態になり、
時には意識を失い、

そのことが原因で、人生のあらゆる場面において
不都合が生じてしまい、行き詰まり、

個人のスキルや能力、日常生活にまで
大きく悪影響を及ぼし

社会的に非常に生きづらい状態に
陥ってしまっているのなら、

それは、強迫的な優柔不断状態が
障害となって、メンタルブロックされて
しまっているのかもってこと。


意思決定が著しく損なわれてしまっているため、
自分で決定を下すことができない状態が
慢性化してしまっている状態です。

自分で決めることに膨大なエネルギーと負荷が
かかってしまうので、いちいち辛くなります。

自分の人生を、自分の意思で
ハンドリングすることが難しくなります。

ほんの些細なことでさえも。

例えば「今日何を食べようかな」というレベルでさえも
まるで不可能な偉業のように感じてしまいます。

常に決断を下すのに大きな負荷がかかり、
意思決定プロセスに悪影響を及ぼします。

選択に膨大な時間がかかり
精神的疲労と苦痛を強く伴い

「もうやってられない」となり、
あらゆる選択を放棄し、

決断を逃げたり、責任から逃れ、
先送りしたりします。

そのうち生きることでさえも辛く
全てを放棄したくなってきます。

うつ、不安障害、社会的引きこもりや
社会的機能不全、極度のストレス疲労などの
メンタルバランスの乱れは、

このアボーロマニアと密接な関係が
あるとされています。


一般的にアボーロマニアの症状として

・一人で過ごす時間を避け、誰かがいないと不安になる
・個人的な責任を回避しようとする
・問題を自分で解決せず、他人に状況のコントロールを委ねる
・批判、拒否、否定、反対に傷つきやすい
・間違いや失敗を犯すことに恐怖心がある
・見捨てられるのではないかという恐怖
・人間関係において消極的になる
・他人のサポートがないと意思決定をするのが難しい
・他人との意見の相違を表現するのが難しい
・他人が自分をどう思っているかを気にしすぎる


これらが一般的。

そもそもこの強迫的で病的な優柔不断の
原因は何なのか。

・過保護な親

過保護な親、権威主義的な子育てスタイルは

子どもの自信と意思決定能力に
大きく影響を与えます。

子供の自由意思でとった行動を親が厳しく批判、
指摘したり、子供の意思選択の余地を
挟まないような先回りの行動など。

個性や自由意志への過度な制限、介入など

親からの修正バイアスが常に
かかっている状態です。

すべての答えを指示された子供は

「どうせ反対される・・・」

「自分の意見、意志、願望を持っても、
どうせ何をやってもいつも指摘や修正される・・・」

この日々の積み重ねによって

潜在的に、無意識的に、
心の奥深いところで
これらが根っことなって信念化してしまい、

自己肯定感の低下、自己不信、
自分の能力を信じる力が低下してしまう。

また親の過保護により、親子間で
不健全な依存関係を築いてしまうことにもなり

他人に意思決定を委ねる思考が強くなり
他人への依存度が増し、

何かを選択する際に、
低い自己評価と強い不安を
覚えてしまうようになります。


これら意外にも、例えば、


・失敗への恐怖

失敗、間違い、挫折、これらを経験することを
非常に恐れています。


・他人を喜ばせようとする

選択、決断を他人に委ねてしまうことで、
その決定が、他人の好みに影響されてしまうことも。
自分の意見よりも他人の意見を重視する。

・完璧主義者

物事を全て完璧に正しくしようとすることや
正しい決断をしなければいけないとする

100%完璧、100%正確、
決定の正しさを100%確信する必要性。

確実性への欲求は、決断を遅らせて、
麻痺させ、強い不安や心配、
強迫観念を引き起こすリスクが高まります。


・最悪の結果を心配する

これも完璧主義の人がよく陥りがちで
”正しく決断しなきゃバイアス”が強烈すぎて

起こり得る最悪の結果や大惨事を恐れて
選択、決断が麻痺してしまう。

最悪を事前にシュミレーションするのが悪いのではなく
未来のことを過度に不安、心配してメンタル疲労が
起こるようなら本末転倒ってこと。


・決断を自らで大きなものとしすぎている

その決断、あなたが思っているほど
意外に大きなものではないということ。

(もちろん重要な決断ってのはあるのだけど)

いかにも人生を揺るがすがごとく
大きな意味合いを持たせてしまう。

「これは人生を変えるほどだ」と必要以上に、
自分自身で過大に捉えてしまい、その結果
多くの準備をする必要がある



ではどうすればもっと決断力を
持てるようになるのか。

どうすればこの病的な優柔不断に
対処できるようになるのか。


1)完璧を求めない



100%の正確性を求めないし期待しない。
人間だから間違いはあります。
完璧な人間などいないということ。

完璧さを求めてしまうと、
些細で、簡単で、単純な選択、決定事さえも、

深く思いつめ、考え込み、
過度に慎重になります。

考えられる選択肢について熟考することになり
逆に難しく、複雑化してしまうことも。

際限なくネットやSNSで調べたり、
他人の意見を収集したりなど。

その決定が正しいものなのか、
妥当なのか、強い不安を伴ってしまい

決断した後も永続的な疑問、
不安、不満、頻繁な意見の変化などを
引き起こしやすくなります。


2)小さく決定していく



”正しい意思決定をする自信がない”というところから
意思決定が麻痺して、

先延ばしや病的な優柔不断に
陥ってしまっているという場合がある。

毎日、重要度が低く、小さなことを
決断をする訓練をしていく。

自分の望むような結果にならなくても
かすり傷程度で済む小さな冒険を試み、
起き上がる癖をつける訓練をする。

はじめのうちはどうしても時間をかけて
熟考してしまうけど、

少しづつ、できるだけ迅速に
決定を下すという意識も採用していく。

その日々のトライ&エラーの積み重ねで、
少しづつより大きく、

重要な決定に取り組むのに必要な
自信が養われていくので、

選択肢が多い時や重要な決断を
下さないといけない場面に遭遇しても、

自分の直感や本能を信頼し、
自分を信じることができるようになってくる。

ゆっくりでいいから自分への信頼を
少しづつ育んでいき、自信の欠如、
低い自己評価を回復させていく。


どれだけ些細で小さな達成であっても、

「こんな小さな達成で浮かれるな」と厳しく
思うことなく、

達成したら、それを大げさなくらい
自分を祝福してあげ、
それをしっかりと味わうこと。

自分自身に思いやりをもって、
優しく接してあげること。


3)決定を脅威と捉えない


意思決定は脅威ではありません。

命が生きるか死ぬかの選択などというものは
実際にはほとんどなく、それは自分の思考の中で
過大に作り上げているだけ
であることを忘れないでください。

選択、決断は、問題を解決し、先へ進むために
必要なツールです。

その決断、選択が
完璧な解決策である必要はなく、

例え最善の決断を下さなかったとしても
それが悪いという意味ではないということ。

決断した結果、それが望むような結果にならずとも
自分を罰し、罵倒し、後悔や自責の念で
自身を過剰に痛めず、

間違った決断の結果から学ぶ機会、
成長の機会と捉えて、時間の猶予、心の余白を
自分に与えてあげること。


4)動かないことによるリスク


自分の望ましい結果にならなかった=失敗では
ないということ。

ましてや自分の存在価値を
否定することもないということ。

物事がうまくいくための戦略に
集中することよりも、

間違いを犯してしまう失敗の恐怖、
無能力感、無価値観、傷つきたくない、
責任を負いたくないなどに焦点が
あたりすぎて怖がってしまう。

結果として

「何もしない方が安全だ」
「行動しない」

という選択をとってしまい、

何も行動を起こさないことで
大きく自分を成長させてくれるチャンス、
出会い、きっかけを見落としてしまう
可能性があり、大きな機会損失となることも。


5)1つに絞る



いくつもの情報、選択からまずは
選択肢を絞り込む。そして緊急性のあるものから
優先順位を付ける。

1度にあれもこれも対応しようとするのはなく、
1つに的を絞り選択し、それに全神経を集中して
対処するようにする。


6)間違った決断を手放す




過去の間違いによる古傷が癒えずに
過剰分析しすぎて、

決断が中々できずに
麻痺してしまうことがあります。

過去のうまくいかなかったことや間違いは
責めず、受け入れ、「もう大丈夫だよ」と
許してあげること。

また過去のうまくいった決断は
素直にほめてあげ、実績として
自分の成功リストへ追加すること。

結果が良かれ悪かれ、下した決断は、
そこから学び成長する機会であるということ。
決断を下すという行為自体を肯定すること。

うまくいけばなおよしだけど
望む結果にならずとも
間違いから学ぶように努めること。

選択、決断した結果がどうであれ
「でも自分はベストを尽くした」と信じきること。


7)恐怖リスト


ノートを開いて左側ページには
これまでのあなたに影響を与えてきた
恐怖、心配事、思考回路のリストを作成する。

どういうものに恐怖を感じる
アンテナが反応するのかを客観視する

右側にはそれらの反対語を書いて
新しい思考で代替えし再配線するように試みる。

<左側>1人が怖い 
<右側>自分には勇気があり1人でも安全だと確信している

<左側>新しいことにトライするのが怖い
<右側>エラーはつきもの。結果はあと。成功するチャンス

<左側>自分は無能で役立たずのダメな人間だ
<右側>自分は愛される価値があるし、他人を愛する価値がある

自分と向き合うことで古傷がえぐられるような
悲しい気持ちになるときもあるけど、
それは次に進むための必要なステップです。

色々な恐怖や恐怖のトリガーについて
新たなものを発掘すればするほど、

それらを新しいものへと作り変え、
置き変え、思考を再配線することが
容易となります。


いかがでしたか。
病的な優柔不断であるアボーロマニアについて。

中々決断ができずに
自分にイライラすることもあるかと。

上記を少し参考にしてみてください。

何もあなたが怠惰でいい加減な
性格ということではなく、

ただほんのちょっと自主性、自立性、主体性が低下し、
少し自信が低下してしまっているだけなのかも。

自分の人生は自分が主人です。

自分自身でしっかりと
人生のハンドルを握ることが
重要になってきます。


おあとがよろしいようで。
今日はここまで。
おしまい。





Good virtues グッドバーチューズ